ラグドールの歴史と開発

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第3章 数奇な運命
1960年代初期-創始期

    1960年代初期から、ラグドールは、創始者アン・ベーカー婦人(Ann Baker)を中心としたグループによって飼育されていました。アン・ベーカー婦人は、ラグドールのブリーダーたちを管理し、フランチャイズ経営を展開したといわれています。すなわち、販売された猫に対してローヤリティを請求するというのものでした。彼女から猫を飼って繁殖する人々は、契約書にサインをし、彼女にそれを渡しました。

1965年 1組のペアの買い上げから

    「ラグドール」猫の発展に貢献したローラ、デニィ・ダイトン夫妻(Denny&Laura Dayton)は、1965年に新聞広告からラグドールの存在を知り、1組みのペアをアン・ベーカー婦人から買いました。デニー・ダイトン氏は、アン・ベーカー婦人に、契約書を送りませんでした。つまりフランチャイズの契約を承認しませんでした。彼らによって交配された猫の名字は「Blossom-Time」といいます。

1971年「IRCA」創設

    アン・ベーカー婦人は、当時現存する猫協会に「ラグドール」を登録することに反対で、自ら「IRCA」(International Ragdoll Cat Association)という彼女自身の協会を創設しました。しかし、デニィ・ダイトン氏は、メジャーな組織による「ラグドール」の登録、受け入れを支持していました。彼は「ポインテッド」の作出を推進しました。


1975年2月「RFC」(後の「RFCI」)創設

 デニィ・ダイトン氏は、アン・ベーカー婦人のもとを離れました。そして1975年2月「RFC」(Ragdoll Society)、現在の「RFCI」(Ragdoll Fanciers Club International)の母胎を創設しました。「RFC」は、ダイトン氏と8人のブリーダーたちから成っていました。この時、離れた人々は、アン・べーカー婦人から多くの遺伝子プールを買い上げ、離れていったと伝えられています。
 このクラブは、「ポインテッド」、すなわち3つのカラーである「カラーポイント」「ミテッド」「バイカラー」、4色の「シール」「チョコレート」「ブルー」「ライラック」の猫の飼育を促進していました。
 デニィ・ダイトン氏と「RFC」のメンバーは、メジャーな猫協会への働きかけに熱心で、最初にラグドールが猫協会に登録されたのは、1965年で、いまは無きNCFAという団体です。米国、及び、北アメリカのメジャーな猫協会であるTICA(The International Cat Association)に「ラグドール」が、公認されたのも、「RFC」のメンバーの努力と、その後に続く多くの人々の尽力によるものといえるでしょう。こうして「ラグドール」は、国際的に認識される猫品種となっていきます。現在では、ラグドールを承認しない団体はほとんどありません。なお、一部の団体では、特定のカラーとパターンを認定しないものもあります。


1975年12月「ラグドール」の名前の特許申請

    1975年12月、アン・ベーカー婦人は「ラグドール」という名前の特許申請をしました。これは、2005年まで有効で、「IRCA」のブリーダーたちだけが、その名前の使用が可能、とするものでした。デニィ・ダイトン氏、もしくは「RFC」のブリーダーたちが、「ラグドール」の名前を継続して使用し、制限の適用を受けないと考えたのは、アン・ベーカー婦人の特許取得以前に猫を獲得している、という理由からでした。結果的に、アン・べーカー婦人は、自らが付けた名前であるにも関わらず、猫を「ラグドール」として呼ぶことがかないませんでした。なぜなら、メジャーな協会で、すでに「ラグドール」という名前の猫が承認され、多くの人々に認知され始めていたからです。結局、アン・ベーカー婦人の猫は、「本当のラグドール」とか「ハニー・ベア」などの、別名で呼ばれるようになりました。また、いつの時期からは明確ではありませんが、ソリッド(単色)のラグドールも育てていたたことから、ソリッドの猫のことを「ミラクル」と呼んでいました。
 1975年のこの時点から、「IRCA」と「RFC」(現在の「RFCI」)の2つのグループによって「ラグドール」猫の繁殖がされていったことになります。


1994年 大きいグループが「IRCA」を離脱

 この年は「ラガマフィン」という猫の誕生に関わります。1975年に多くのラグドールの遺伝子を失ったアン・べーカー婦人と彼女の元に残った人々は、再びラグドールの基礎を作り直す必要がありました。彼らは、原形となった全ての色において「ポインテッド」と、そうでないバージョンの両方を育て続けていました。そして、猫たちは、独自に「IRCAラグドール」として飼育されていきます。長い年月の間には、アン・べーカー婦人から離れ、他の協会に移行するブリーダーたちもいました。1994年には、その中でも最も大きな一群が「IRCA」から離脱しました。この一群が後の「ラガマフィン」と呼ばれる猫を作りました。彼らは協会への登録問題により「ラグドール」という名前が使用できなかったからです。猫協会に公認されるため、「ラグドール」とは異なった名前ができあがっていったのです。
    その後「ラガマフィン」のブリーダーたちは、原形となった全ての色で、「ポインテッド」と、それ以外の猫を繁殖させ続け、2001年の5月、ACFAでチャンピョンシップステータスを獲得しました。

上記、記事は「C.A.T.CREDO」会報にて、連載しているものに一部修正を加えたものです。
改訂稿2002・3・14


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